はじめまして。テックドクターでデータ解析を担当している藤野です。
私はテックドクターへ参画する前は、約10年間にわたり医薬品開発における治験の統計解析に従事してきました。現在はその経験を活かし、ウェアラブルデバイスのデータを用いて、医療現場で活用されるデジタルバイオマーカー(※1)の開発に取り組んでいます。
ウェアラブルデータは、従来の臨床試験のデータに比べてデータ量が膨大で、項目の種類も多岐にわたります。そのため、解析の自由度が非常に高く、データサイエンティストとして非常に面白い領域です。しかしその反面、解析者の意図によって「都合の良い結果」を導き出してしまうバイアス(P-hacking等)が入り込みやすいという危険性もあります。
このように都合の良い解析とならないために、治験における解析の「規律」であるSAP(統計解析計画書)の考え方をウェアラブルデータ解析においても実践しています。
本記事では、ウェアラブルデータ解析においてなぜSAPが必要なのか、そして具体的にどのような点に留意して作成すべきかをご紹介します。
※1 デジタルバイオマーカー……デジタルデバイスで測定した『日常データ』をもとにした、病気の早期発見や治療につながる客観的指標(過去記事参照)
SAP(統計解析計画書)とは
SAP(Statistical Analysis Plan:統計解析計画書)とは、解析を始める前に「どのようなデータを使い、どのような解析を行うか」を細かく記載した文書のことです。
医薬品開発で必須とされる国際的なガイドラインである「ICH-E9(臨床試験のための統計的原則)」(※2)に基づいて、解析の客観性と再現性を担保することを目的としています。
※2 PMDA(独立行政法人 医薬品医療機器総合機構)「ICH-E9(臨床試験のための統計的原則)」, URL: https://www.pmda.go.jp/int-activities/int-harmony/ich/0031.html
なぜ機械学習全盛の今、SAPが必要なのか
最新のアルゴリズム開発とは対極にある「古い慣習」のように思えるかもしれません。しかし、実はアルゴリズム開発(機械学習)の前段階として、統計的な検証を行うことには大きなメリットがあります。
①客観性の担保
解析前に解析方法を決定することで、有意差が出るまで条件を変えて解析し直すことを防ぎます。
②エビデンスの作成
解析プロセスを文書化しておくことで、社内外のステークホルダーに信頼されるエビデンスを作成します。
これらはSAPの一般的なメリットですが、くわえてウェアラブルデータ解析特有の課題への対策としてもSAPは有効です。次にご説明します。
ウェアラブルデータ解析における「信頼性」の課題
ウェアラブルデータ解析においては、その自由度の高さから、特有のリスクが存在します。
多重性の問題
心拍、睡眠、歩数など、ウェアラブルデバイスからは大量の変数が得られます。
これらを総当たりで検定にかければ、偶然有意差が見つかるリスクが高まります。
欠測バイアス(※3)の問題
日常生活では、未装着や充電切れなどによるデータの欠測が発生します。
欠測の扱いで結果が大きく変わってしまうことがあります。
これらの日常のデータを信頼できるエビデンスとするために、SAPによる事前の規定がとても有効です。
※3 バイアス……解析者の思い込みやデータの偏りによって、真実とは異なる結果が出てしまうことを指します。

SAPの実践例と重要なポイント
具体的に、どのような点をSAPで定義すべきでしょうか。事例をもとに3点紹介します。
有効なデータと解析対象の定義
ウェアラブルデータの場合、「データが存在する=解析に使える」とは限りません。解析前に、評価の基盤となるデータの質を定義しておく必要があります。
歩数データの例:
次のような基準をあらかじめ規定しておきます。
- 心拍データが記録されている時間を装着時間とし、「1日の装着時間が70%(16.8時間)以上」の日を有効装着日と規定する
- さらに、評価期間7日間のうち、少なくとも4日以上の有効装着日が存在する被験者のみを解析対象とする
- 最後に、各有効装着日の1日の歩数を算出し、評価期間中の平均値を解析に用いる

生データから加工変数への変換ロジック
高頻度な原データを解析可能な形に集約する計算式を、SAPで明文化します。
心拍変動の例:
以下のように基準を設定します。
- 15分間隔の区間集計で算出するロジック
- 「30bpm以下の心拍数」など生理学的にあり得ない値を異常値として除外する閾値
「探索」と「検証」の切り分け
自由にデータを深掘りして分析することで新たな知見を得るための探索的な解析項目と、事前に決められた手順で仮説を検証するための解析項目を明確に分けます。
SAP導入の効果とメリット
ここまで主にSAPがデータ解析作業にもたらす利点を紹介してきましたが、それ以外にもSAPの導入によって、プロジェクト全体に様々なメリットがあります。
解析結果の頑健性(ロバストネス)の向上
解析を事前に規定することで、「データを見てからルール(データの採用基準や統計手法)を決める」という後出しジャンケンを防ぎます。これにより、誰が解析しても結論の変わらない安定した解析結果を得ることができます。

チーム内外の円滑な議論
解析方針が詳細にドキュメント化されているため、社内のレビューはもちろん、外部のステークホルダー(スポンサー・アカデミア・CRO等)や規制当局(PMDA等)との議論がスムーズになります。
将来的な治験への布石
探索的な臨床試験の段階からSAPを導入することで、将来的に治験に進む際に、スムーズに移行できる下地となります。
また、現場で実務を担うステークホルダーにも具体的なメリットがあります。
| ステークホルダー | 具体的なメリット |
|---|---|
| データサイエンティスト | 個別のデータ採否に迷う必要がなく、解析の再現性と効率が向上します。 |
| 統計解析担当者 | 欠測や中間事象(服薬不遵守や併用薬の使用)に対して、治験の標準的な考え方を適用でき、ウェアラブルデータ以外の解析と整合性が取れます。 |
| 薬事・マーケティング担当者 | 事前に合意・規定されたプロセスに基づくエビデンスとなるため、社内外への説明に客観的な裏付けができます。 |
実践を通じた気づき
10年の治験解析経験を経て、今ウェアラブルデータ解析の舞台で改めて感じるのは、SAPは決して「自由な解析を制限するもの」ではないということです。むしろ、解析結果に胸を張って「これは信頼できる結果です」と言うための武器になります。
まとめ
ウェアラブルデバイスという新しい領域だからこそ、先人が臨床試験で築き上げてきた「統計の作法」が非常に強力な武器になります。
テックドクターでは、これからも最新のテクノロジーと統計学的手法を組み合わせ、デジタルバイオマーカーの社会実装に向けた信頼性の高い解析を追求していきます。

書いた人:藤野